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東京高等裁判所 昭和52年(う)326号 判決 1979年2月14日

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金二万円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金二、〇〇〇円を一日に換算した期間、被告人を労役場に留置する。

被告人に対し、公職選挙法二五二条一項の選挙権及び被選挙権を有しない期間を二年に短縮する。

原審及び当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人上田誠吉、同鶴見祐策、同千葉憲雄、同原田敬三、同石崎和彦、同牛久保秀樹連名作成名義及び被告人作成名義の各控訴趣意書に記載されたとおりであり(いずれも、弁護人鶴見祐策及び被告人連名作成の「控訴趣意書の記載訂正について」と題する書面で訂正されたもの)、これに対する答弁は、検察官木村仁一郎作成名義の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。

(事案の概要と争点)

論旨に対する判断に先き立ち、本件事案の内容を概観するに、原判決が認定した罪となるべき事実は、要するに、被告人において、昭和四四年七月一三日施行の東京都議会議員選挙に際し、同都中央区から立候補した森山一に当選を得させる目的をもつて、同月一一日同都中央区日本橋人形町一丁目一四番地日本橋電報局において、同局係員に対し、『モリヤマハジメゼンセンイチダンノゴシエンヲ」ノサカサンゾウ』と各同文の電報を、同区日本橋箱崎町一丁目四番地望月桂一ほか一三二名にあて、それぞれ一通ないし三通発信方を依頼し、同日及び翌一二日の両日にわたり同局員らをして右望月らに前記文面の電報合計一四五通を配達させ、もつて法定外選挙運動用文書を頒布した、というのである。

各論旨は、多岐にわたり原判決批判を展開してその破棄を求める。その理由として、弁護人らの控訴趣意は、訴訟手続の法令違反・法令解釈適用の誤り・理由不備及び事実誤認等を主張し、また、被告人の控訴趣意も、右と同趣旨で、その範囲を出るものではない。

(控訴趣意に対する判断)

よつて、当裁判所は、弁護人の控訴趣意の項目とその順序に従い、それぞれに関連する被告人の控訴趣意を含め、これに対して各論点ごとに以下のとおり判断する。

第一公訴権濫用の主張について

一控訴趣意第一点訴訟手続の法令違反(公訴棄却をしなかつた違法)の主張について

所論は、事由を縷説して、本件公訴の提起は、起訴猶予基準を著しく逸脱しているばかりでなく、検察官の政治目的によるものであることは明白であり、しかも違法な捜査手続に立脚し被告人の人権を侵害するものであつて、憲法三一条、一四条、刑訴法二四八条等に違反する差別的起訴であるから、起訴便宜主義に基づく裁量権の濫用として、刑訴法三三八条四号により判決で本件公訴を棄却すべきであつたのに、これをしなかつた原判決は、右の憲法以下の諸規定に違反し、ひいては訴訟手続の法令違反がある、というのである。

しかし、わが刑事訴訟の基本構造ないし基本原理にかんがみれば、公訴提起の手続が適法になされている以上、裁判所は公訴の提起に対し実体的審判をすべき義務があるのであつて、検察官の目的や意図ひいては訴追裁量の当否等を問題にして、公訴を不適法として排斥することはできない。また、仮りに捜査手続に違法があるとしても、とくに検察官の極めて広汎な裁量にかかる公訴提起の性質を考えると、その違法が公訴提起の効力を当然に失わせるものとはいえない(最高裁判所昭和二四年(れ)第一八一九号同年一二月一〇日第二小法廷判決・刑集三巻一二号一九三三頁、同昭和四四年(あ)第八五八号同年一二月五日第二小法廷判決刑集二三巻一二号一五八三頁など参照)。記録を調査すると、本件公訴の提起は手続規定に従い適式になされていることが認められ、また、本件捜査手続においては、公訴提起を違法・無効ならしめるような重大な違法も認め難い。所論の事由に基づく公訴棄却の主張は、その前提において失当であり、この主張を容認しなかつた原判決に所論の違憲・違法は認められない。

また、それゆえに、所論のように公訴権濫用の不存在が訴訟条件であると解するのは相当でない。したがつて、その不存在につき検察官の立証責任の有無を論議する余地はない。更に、こうした公訴権濫用の主張がなされたからといつて、その主張の当否について審理する必要はなく、まして、この審理を実体審理に先行させるべき理由は全くない。また、刑訴法は公訴棄却の裁判の申立権を認めていないのであるから、公訴棄却を求める申立は職権の発動を促す意味をもつに過ぎず、したがつて、その申立や主張がなされたからといつて、裁判所がこれに応答して許否の裁判その他何らかの判断をしなければならない義務はなく、その判断をしなければ、実体審理にはいれないものでもない、このように解すると、公訴権濫用に関する立証責任につき法令適用の誤りがあるとする所論や、原裁判所が公訴権濫用の主張に対する判断を避け、三五回公判からこの点の審理を実体審理と併行させたとして、原判決に訴訟手続の法令違反があるとする所論などは、いずれも前提において失当であるといわなければならない。

なお若干付言するに、いわゆる公訴権濫用の理論は刑事司法制度の根幹にもふれる重要かつ困難な問題であつて、これに関する当裁判所の前記の見解に対しては多くの異論もあるであろう。もとより、国法上の裁判所は、具体的事件の処理を通じてではあるが、法と正義を実現する使命を負い、その使命の一環として、国家権力が濫用され国民が不当な扱いを受けることがないよう監視すべき責務を荷うものであることはいうまでもない。いわゆる公訴権の濫用に対しても同様であつて、万一にもそのようなことがあるならば、裁判所において適切な法的処置をとり、国民を不当な権利侵害から救済することが望ましい。

しかしながら、その方法については、司法権に内在する当然の制約として、十分な制定法上の根拠がなければならない。この見地に立つとき、例えば所論の如き事由等から直ちに公訴権濫用ありとして検察官の公訴提起自体を排斥することには多大の疑問があると思われる。すなわち、現行の刑事訴訟法、とくに所論の援用する同法三三八条四号の解釈論としては、公訴権濫用自体を理由とする公訴棄却の処置は、司法的処理の枠を超えるものであつて、是認することができないのである。

二控訴趣意第二点ないし第四点の主張について

所論は、要するに、原審において弁護人は、具体的事由を列挙して本件公訴が著しく起訴便宜主義を逸脱したものであり、とくに本件が公安警察による政治的弾圧事件であると主張・立証したのに、原判決はこうした公訴権濫用の主張を不正確かつ歪曲して要約し、また、主要な主張の大半について判断せず、かつ右のような要約を前提として不正確・不当な判断をしているのであつて、原判決には、判断遺脱・理由不備の違法があり、また重大な訴訟手続の法令違反がある。加えて、原判決には、公訴権濫用に関する事実関係について、数多くの採証法則に反する重大な事実誤認がある、というのである。

しかし、所論の事由に基づく公訴権濫用の申立や主張に対し裁判所が応答し、判断を示すべき義務のないことは前示のとおりであるうえ、原判決は結論として本件公訴を適法と判断しているのであるから、原判決が右主張に関する個々の事由に対し逐一判断を示さず、また、この点に関する弁護人の主張を洩れなく正確に要約しなかつたとしても、原判決に所論の判断遺脱・理由不備の違法ないしは訴訟手続の法令違反があるとはいえない。なお、原判文と弁護人の原審における主張を対比しても、原判決がことさら弁護人の主張を歪曲して要約しているふしは認められない。原判決に所論の違法はない。

また、所論の公訴権濫用の主張の基礎となる事実関係につき原判決に事実誤認があつたとしても、その誤認が判決に影響を及ぼす余地のないことはすでに説示したところから明らかであつて、この点に関する事実誤認の主張は失当というのほかはない。

第二〈省略〉

第三事実関係に関する主張について

一控訴趣意第八点、法令解釈適用の誤りの主張について

所論は、要するに、電報は公職選挙法一四二条にいう文書に該当しないのに、本件電報を同条にいう法定外選挙用文書に該当するとした原判決は、同条の解釈・適用を誤つたものであり、この誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかである。というのである。また、その理由として、とくに所論は、本件当時における電報配達の実情を縷説して、電報は電話による配達を原則とし、この場合は公職選挙法上処罰されないところ、電報が電話もしくは送達紙のいずれによつて配達されるかは、最終的に日本電信電話公社(以下、「公社」と表示する。)、内部的は着信局の裁量により決せられるのであつて、それにもかかわらず電報(送達紙による配達の場合)が公職選挙法一四二条の法定外文書であるとするならば、その構成要件の中核部分が第三者の意思と裁量に委ねられることになり、こうした犯罪の定めは憲法三一条に違反すると強調する。また、これに関連して、弁護人は、当審弁論で理由を追加し、間接正犯論にも言及して、選挙関係電報の発信者等を公職選挙法一四二条違反の正犯とすることは許されないと主張する。

しかし、電報が送達紙によつて配達された場合に、その電報が公職選挙法一四二条の文書に該当し、これを発信・配達させた所為が右文書の頒布に該当することは、最高裁判所の判例(昭和三六年(あ)第一九九一号同年一二月二一日第一小法廷決定・刑集一五巻一二号二〇四一頁)の示すところであつて、当裁判所も、この見解を相当として是認すべきものと考える。この点に関し原判決に所論の法令解釈適用の誤りはない。

たしかに、電報が電話によつて配達された場合には、電文の内容が投票依頼など選挙運動用のものであつても、これが公職選挙法上処罰の対象とされていないことは所論のとおりである。しかし、これが送達紙によつて配達された場合には、通信文の内容が送達紙上に表示されることによつて明確化され、配達後も当然に消滅するものでないから、選挙に関する意思伝達の手段としては極めて正確かつ有効であつて、選挙の公正を害する危険性において、電話による配達に比較してより高度であることは見易い道理である。また、そのような行為を罰則をもつて取締ることについては、現行法規の解釈・適用上別段の不都合・不合理があるとも思われない。したがつて、電報が送達紙により配達された場合だけを採り上げて、これを処罰の対象とすることは、実質的にも十分に合理性があるといえる。

更に、本件当時における電報配達の仕組ないし実情が所論のとおりであつたとしても、それは公社の電信電話営業規則や電報業務作業実施方法等に依拠していたものであつて、公職選挙法と直接の関係のないものであることが認められるから、そのことのゆえに同法一四二条の構成要件が当然に明確性を欠くということにはならない。また、所論のように、電報の発信依頼と送達紙による配達との間に、公社の電報配達業務が介在することによつて、法定外文書頒布罪の犯行実現に不確実な点が残されているとしても、こうした不確実性は、およそ犯罪一般について、間接正犯のみならず、いわゆる単独正犯が犯行手段に道具等を利用する場合においてもみられるところであつて、そのことから不合理・不測の事態が派生したとしても、それは因果関係等の面で処理すれば足りるのであり、こうした不確実性を包含した法定外文書頒布罪をとくに排すべき理由はなく、また、公職選挙法一四二条をこのように解釈・適用することが所論のように違憲違法になるとは思われない。

のみならず、右の電報業務作業実施方法は、同時に「各種競技・選挙等に際し、関係者にあてる激励の意を内容とする電報」を原則として電話による配達から除外しているのであり、これが単なる作業実施方法の標準を示したものに過ぎないとしても、関係証拠によれば、本件当時、選挙関係の電報は、送達紙による配達すなわち「タリ扱い」の指定や希望がない場合でも、概ね送達紙によつて配達されており、また、それがゆえに選挙運動関係者があえて電報を利用していたのであつて、なお、こうした実情は選挙運動に携わつている者や電報業務に関係する公社職員にとつては顕著な事実であつたことが認められる。したがつて、本件当時における選挙関係電報の配達の仕組や実情は、電報発信原書を電報局の窓口で係員に差し出しさえすれば、概ね例外なく送達紙によつて配達されることが確実であつたといわざるを得ず、電報を利用した法定外文書の頒布が実現の確実性の極めて高度な犯行であつたことは明らかである。

なお、これに関連して、弁護人は、当審弁論において、本件電報は「タリ扱い」でなく、被告人には本件電報が送達紙で配達されることについて認識ないし意図もなかつたと主張するところ、本件の電報発信原書(後記のとおり)に「タリ扱い」の記載がないことは所論のとおりであるが、前記の認定・説示に照らし、後記認定のように電報業務に携わつていた被告人において、選挙関係の電報であることが通信文の内容や通数などから一見して明瞭な本件電報につき、所論の認識や意図を有していたことは推認するに難くない。

また、公衆電気通信法の精神にかんがみれば、公社は、通信文の内容が刑罰法令に触れる場合であつても、その配達を拒むことができないと解すべきであるから、その場合の電報業務は、公社職員にとつて職務上の義務に基づく適法な行為と解すべきである。こうした行為を利用して、選挙運動用の電報を発信し、送達紙で配達させた者は、他人の義務に基づく行為を違法に利用したものとして、法定外文書頒布罪の正犯としての罪責を負うべきものと解するのが相当である。

二ないし六〈省略〉

七控訴趣意第一五点及び第一六点の二、訴訟手続の法令違反ないし事実誤認の主張について

原判決が証拠の標目欄に掲げる証拠のなかに、電報発信原書(一七三通)、電報一三通(前同号の二ないし一四)及び証人樋口充睦の公判供述があるところ、所論は、要するに、この各証拠は、いずれも憲法二一条二項に違反し、かつ公職選挙法の法定外文書頒布罪と公衆電気通信法五条違反罪の法定刑の対比上、より厚く保護されるべき通信の秘密を犯し、また、政治的弾圧の意図に基づく違法な捜査活動の一環として収集ないし顕出されたものであるから、違法収集証拠として証拠能力がないのに、これを有罪認定の証拠とした原判決には、刑訴法三一七条違反など判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反ないし重大な事実誤認がある、というのである。

よつて検討するに、所論の指摘するように、通信の秘密は憲法二一条の保障のもとにあり、これを受けて電報についても、公衆電気通信法が具体的保障規定(五条)を置き、その侵害を処罰の対象としているのであつて(一一二条)、電報に関しても通信の秘密が十分に尊重されるべきことはいうまでもない。そして、この秘密の対象とされる事項には、通信文の内容のみならず、差出人・発信者・受取人の氏名・居所なども含まれると解すべきである。しかし、通信の秘密といつても、もとより何らの制約を受けないものではなく、たとえば、国家刑罰権の適正な実現のために、ある程度の制約を受けることは公共の福祉のため否定することができない。とくに、本件のように、通信自体が犯罪の手段として利用され、犯罪行為の一部を構成しているとされている場合にまで、通信の秘密の保障という見地から、通信に関する証拠の収集がいつさい許されないとする理由はなく、こうした犯人において「通信の秘密」を楯に刑事訴追に対抗し、刑責を潜脱しようとすることが、無制限に許されてよい道理はない。

すなわち、少なくとも本件で問題とされているような、犯人が差し出し、それが犯罪事実の一部を構成している電報及びこれに関する書類の如きは、憲法三五条及びこれに由来する刑訴法上の強制処分の規定に準拠した方法による限り、なお、すでに配達されたものについては任意提出に基づく領置を含め、これを押収し、後に裁判上証拠として使用することが憲法上も許容されていると解するのが相当である。

また、右のような電報に関し、その取扱中に公社の職員が知り得た通信の秘密につき、その職員を証人として尋問することの可否については、刑訴法上これを禁止ないし制限する直接規定はなく、他方、公衆電気通信法上は秘密の不可侵を規定した同法五条があるのみで、その例外規定はない。しかし、そのために、証人尋問が無制限に許されるとか、あるいは、これと反対に、それが全面的に禁止されると解するのは相当でなく、少なくとも、犯人の差し出した右の電報ないしその関係書類がすでに適法に押収されている場合には、これらに関連する事項につき、当該犯罪事実の立証に必要な限度で、公社の職員を証人として尋問することも許されると解するのが相当である。そして、所論の指摘するような、訴追の対象となつている犯罪の法定刑が公衆電気通信法五条の罰則規定である同法一一二条の法定刑を下廻る場合であつても、以上の基準に従つて処理することは、何ら妨げられないと解すべきである。

そこで、これを本件についてみるに、関係証拠によれば、所論の電報一三通は、その配達を受けた者から任意提出を受けて領置されたものであり、その一部が疎明資料となつて発付された裁判官の差押許可状により、昭和四四年七月一四日、日本橋電報局において本件電報発信原書一七三通が差し押さえられたことが認められ、こうした押収手続自体に何らの瑕疵も認められない。

所論は、本件捜査は久松警察署の飯島勇巡査部長が配達直後の東城建三宅で強引に電報(前同号の一〇)を領置したのを手始めとしたものである、という。しかし、飯島勇の原審証言によつてはもち論、東城建三の当審証言によつても、東城建三は飯島勇巡査部長の求めに応じ、任意に右の電報を提出したもので、同巡査部長が強引に提出させたものでないことが認められるから、所論は失当というのほかはない。更に、飯島勇巡査部長が東城建三方へ赴いた経緯・事情のごときは、それがいかにあれ、右任意提出にかかる電報ひいてはその余の前掲証拠物の証拠能力に影響を及ぼすべき筋合のものとは思われない。のみならず、本件捜査に関係した警察官の各原審証言、樋口充睦の原・当審証言を、東城建三及び石井章雄の各当審証言並びに被告人の原・当審供述と対比しつつ検討しても、右の各証拠物が通信の秘密を侵して押収されたことを疑わせるような事跡は見当らない。したがつて、本件発信原書一七三通及び前示電報一三通の証拠能力に欠けるところはない。また、これに関連する事項につき、本件犯行の立証に必要なものとして、その限度で尋問されたことの認められる樋口充睦の原審証言についても所論の違法はない。

右のようにして、所論の各証拠を採用し、犯罪事実の認定に供した原判決について、所論の訴訟手続の法令違反ないし事実誤認はない。〈以下、省略〉

(岡村治信 小瀬保郎 南三郎)

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